社会に拡張を起こすのは文化。その拡張のなかに新しいマーケットもまた現出してくる。
―広告的な手法とは異なる、人や場、あるいは新しい視点から生まれるカルチャーの面白さをお話しいただきましたが、一方、それをいまの日本社会で広く共有することは可能なのかという疑問もあります。たとえばこのコロナ禍で、文化芸術は不要不急のものとして語られることが多かった。文化の価値を共有するために、必要なことはなんでしょうか?
若林:そこに関しては、文化側のプレイヤーの責任も大きいと思います。公共セクターや民間セクターという言い方がありますが、本当は、それとはまた別にソーシャルセクター、あるいは市民セクターというものがあるはずで、文化の仕事というのは、本当はそこにあるべきものだと思うんですよね。
若林:あるいは、それを「文化セクター」という別物だと言い張ってもいいと思うんですが、「不要不急」という言葉を真に受けて、「いや、自分たちのやっていることは不要不急ではないのだ」って反論するということは、自分たちを自明のこととして「民間=ビジネス=プライベート・セクター」であると認めちゃっているからで、そうであればこそ不用意に自分たちを「製造業」と並べて語っちゃうことも起きるんですよね。
この間、結構痛ましいなと思ったのは、文化に関わる人たちがやたらと新自由主義的な思考に絡め取られていることで、「自分たちは選択的に、不要不急のことに身を投じているので、こういう事態のなかで、不要不急と言われるのは仕方ないのである」という理屈を、わりと当然のこととして内面化していて、せいぜい、「ご苦労されているみなさんに、ささやかな安らぎと明日への活力を与えさせていただくために、ビジネスセクターの末席にいさせていただいております」といった感じでしか、自分たちの仕事を社会のなかに定置できなくなっているように見えるんですね。でも、社会における「文化」の役割って、ほんとにそれ? ただの逃避? それだけ? って気もしますよね。
―文化芸術の側のきちんとした自己定義が必要になる、ということですね。
若林:最近よく思うのは、文化産業は、「エンタメ」という言葉に絡め取られすぎているということで、「エンタメ」という言葉を使っている以上は、ビジネスセクターから抜け出せないし、そこに止まる限りにおいて、そのミッションは「人を楽しませること、気持ちよくしてあげること」にならざるをえないと思うんです。
でも、文化っていうものは、人を楽しませたり、気持ちよくしたりするためにあるわけじゃないですよね。もちろんそういう要素もあって、その部分を肥大化させることで、文化は産業にもなり得たわけですが、それがすべてではないですよ。
若林:『あいちトリエンナーレ2019』の騒動のなかでも、「人を不愉快にするなんてアートじゃない」という批判がありましたけど、ほんとは逆です。どちらかといえばアートなり文化というのは、歴史的には、人を不愉快にし続けることで更新されてきたわけですし、そのおかげで社会のなかに新しい視点、新しい主観性が持ち込まれ、そのことによって社会のなかに新しい可能性が生まれ出てくることになるわけですよね。気持ちいい、とか、勇気をもらうとか、そういうものは、ただ現状肯定感を促進するだけですから、それは、言ってみれば体制が、文化を使うときのロジックでしかないと思いますよ。
深圳でライブハウスをやっている中国人の知り合いが、「経済を動かそうと思ったら、まずは文化を動かすんだよ」と言っていたのが、いまでも非常に印象に残っているんですが、それがなぜかといえば、社会に拡張を起こすのは文化だからで、その拡張のなかに新しいマーケットもまた現出してくる、ということだからなんですよね。その例でいけば、経済界は自分たちの行き詰まりを打破しようと思ったら、文化をあてにするしかないはずなんですが、それって特段変な話でもなくて、最初のほうにお話したように、ジェントリフィケーションが起こっていく過程をみればわかるように、経済は文化のあとを追いかけているわけですよね。
逆に、それはどういうことかというと、文化が経済化されるには必ずタイムラグがあるということで、結果として文化は、自分たちの手で、リアルタイムでマネタイズをすることが難しいということでもあるはずなんです。だからと言って、文化を止めてしまうと、数十年後に刈りとるべき果実が存在しなくなるということにもなってしまいます。
若林:随分前に、シアトルの林業最大手の会社を取材したことがありまして、カート・コバーンが生まれた町の近くにある見渡す限り山と森林が広がる広大な「農園」を見させてもらったことがあるんですが、そこでその会社の人が指をさしながら、「あそこの山は10年後に伐採するところ、その向こうは25年後、あそこは最近植えたばかりだから70年後だね」と、まあ、長いスパンの話をしていまして、「じゃあ、いま植えた苗木を刈るときは生きていないってことじゃないですか?」と聞いたら、「林業っていうのは、そういうもんだから」としれっと答えるんですよね。
それに本当に驚いちゃいまして、それってどういうことかというと、「いま自分たちが植えなかったら70年後の人たちが使う木材がなくなる」ということですし、逆にいえば、「いま自分が木材で食えているのは、70年前に誰かが、そこに木を植えてくれたからだ」ということにもなるわけです。自分にとっては、文化っていうのは、そういうものでもあるんだろうと思うんです。
―個人の問題として表現を捉えてしまいがちですが、より大きな歴史との連続性をつねに意識するべきだ、と。
若林:メディアの話に戻しますと、アメリカでは、ある社会問題や事件が起きたとき、すぐに歴史を参照するんですよね。最近のBLM(Black Lives Matter)運動にあたっても、いまこそ格好のエデュケーションの機会だと、現地のメディアでは、過去の運動や暴動に関する記事や、これまで光が当てられてこなかった歴史上の知られざる人物なども、バーっと掘り起こされていきます。
そこには、いま言ったような「この人たち、こういう事件があったから、いま自分たちがここにある」ということの再認識と、その再認識を通して、いま、未来に向けて何がなされるべきなのかを問う視点があるんですね。そうした視点は、日本のメディアはもっと持つべきだと思うんですけどね。
―最後に、カルチャーと並ぶ『CUFtURE』のもうひとつの柱がテクノロジーです。これからの都市におけるテクノロジーの使われ方についてはどう考えられていますか?
若林:テクノロジーかあ。そうだなあ。今回のBLMで浮上した社会の問題点を見ると、過去にボブ・マーリーがだいたい歌っていたりするんですよ。人種や経済システムや格差が生み出す分断の問題。それを解決しないと、戦争もなくならないと彼は言うわけで、社会課題だなんだって言うのであれば、これこそが本質的な社会課題であるわけですから、テクノロジーが、ボブ・マーリーの歌に対する答えにならないのであれば、「何のためにあるわけ?」ってことにはなりますよね。
Bob Marley & The Wailers『Burnin'(Deluxe Edition)』(1973年)を聴く(Apple Musicはこちら)
―テクノロジー以前に、話すべきことがあるだろうということでしょうか? 過去のインタビューでも、「未来の話をするとき、テクノロジーの話から始めるのをやめたい」と話されていましたね(参考記事:若林恵は「未来」にうんざり。いま語るべきは複雑化したこの社会)。
若林:そうですね。コロナ禍のなかで世界的に浮き彫りになったのは、コロナきっかけでテクノロジーを用いた管理が進むことに対して、アメリカやヨーロッパや日本でも、非常に強い懸念が示されたことで、いま、世界的にはテクノロジーをひたすら上乗せしていけば課題が解決されていくという「テクノソリューショニズム」は批判されていて、コロナ下のアメリカでは先進的な州や市は、たとえば顔面認証技術を政府が用いるのを禁止することを決めたりしています。
若林:ビジネスの話で言えば、株主やユーザーだけでなくワーカーやサプライチェーンに連なるあらゆるステークホルダーに目を向けなくてはならないという方向は、コロナによって強まったと思います。Uberのようなサービスによってワーカーたちが新しい奴隷として搾取されることが起きてしまうわけで、そもそも誰かを搾取しないとそのサービスが維持できないのであれば、そんなのはもうダメですよということになっていくと思います。となれば、それは、ビジネスの構造そのものの組み直しを意味するわけですから、テクノロジー入れたらそれで完了、なんて話にはならないんですよ。
「DX(デジタルトランスフォーメーション)すればなんとかなる」って発想は、さっき言ったような「コミュニケーションをなんとかすればなんとかなる」という広告の発想にほんとに似ていて、ほとほとうんざりするんですが、ビジネス全体に向けて構想力を発揮しなきゃいけないときに、それをできる人間がそもそもいるのか、という疑問はほんとにありますね。
めちゃくちゃ説得力のある受像機をもって社会やマーケットの変化を見通せている経営者って、この国に、ほんとにいるんですかね? って、「オウンドメディア(苦笑)」みたいな話されるたびに思っちゃうんですけどね。オウンドメディアとか言ってる時点で、いかにアンテナの感度が悪いかってことを明かしてるようなもんですよ(笑)。
プロフィール
- 若林恵(わかばやし けい)
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1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。