若林恵に聞く、テクノロジーとカルチャーで未来の都市を耕すには

若林恵に聞く、テクノロジーとカルチャーで未来の都市を耕すには

インタビュー・テキスト
杉原環樹
撮影:豊島望 インタビュー・編集:宮原朋之(CINRA.NET編集部)

延期となった『東京オリンピック・パラリンピック』に向けて、近年、かつてない規模の再開発が進んできた東京。駅周辺が変わり続けている渋谷をはじめ、都市の「ハード」面という点では、その新陳代謝のエネルギーには目を見張るものがある。

一方で、都市の「ソフト」面、つまり文化はどうだろう?  正直なところ、風景の劇的な変化に比べれば、「東京のある街で最近面白いカルチャーが生まれている」という話は、ほとんど聞かないのが現状ではないだろうか。いま、都市とカルチャーの関係はどうなっているのだろう?

「テクノロジーとカルチャーで未来を耕すウェブメディア」をテーマに、今年4月にローンチした本サイト『CUFtURE』。このビジョンを真に実りあるものとするためには、どんな視点が必要なのか? 『WIRED』日本版の編集長時代から都市に関する発信を続けてきた、コンテンツレーベル「黒鳥社」を主宰する若林恵にその疑問をぶつけた。渋谷の話題から始まったインタビューは、やがて、企業の姿勢や「編集」の価値、文化の歴史的な継承の問題まで、広範囲に広がっていく。

1990年代前半までは、インターネットなんてなかったのに、いまよりよほど海外との距離が近かった。

―渋谷では現在、駅周辺の大規模な開発や、新しいテクノロジーを用いたプロジェクトなどさまざまな試みが行われていますが、若林さんは、近年の渋谷の変化をどのように感じられていますか?

若林:渋谷にはすっかり用事がなくなってしまいましたので、「谷底」の方はほんとに行かないので正直よくわからないんですが、それこそ2012年にヒカリエができたとき思ったのは、「一番最後に生まれた地方都市が東京だったのか」ってことでしたね。最近の再開発も、まあ、なんかキレイにはなっているのかもしれませんけど、「相模大野?」って印象でしたし(笑)。

東京が文化を発信できる空間ではなくなって、量販店が並ぶ地方のモールと同じようになった。しかも、その最後発という(笑)。

若林恵(わかばやし けい)<br>1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店)。
若林恵(わかばやし けい)
1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店)。

若林:ニューヨークでもロンドンでも、基本的に「いまここがイケてる」っていうエリアって数年ごとに動くじゃないですか。家賃の安いエリアにアイデアのある若者が動き、そこがハイプ化すると家賃があがっていって、若者たちがいられなくなって追い出されて、また別のエリアが勃興すると。そういうダイナミズムがありますよね。

メディアがそういう動きを後押ししていくことで、新しいカルチャーがメインストリームに入っていくみたいな。そういう意味でいうと、なんか、東京って分散しすぎちゃって、「いまこのエリアが面白い」みたいな話がなくなっちゃいましたよね。中目黒あたりがイケてるって言ってたあたりで、価値軸そのものが喪失するというか。

それとセットでメディアも影響力を失っていきますよね。デザインブームのなかで『カーサ ブルータス』がそれを牽引したり、カフェブーム的ななかで『Ku:nel(クウネル)』のような雑誌がひとつの求心力となっていたようなことが、失われた感じがしますね。

2000年代の後半以降、東京の東側に文化の力点を移そうという動きもあったけれど、なんかパッとしないで終わっちゃいましたし。その後はすべてがフラット化しているというか、誰もトレンドを生み出せなくなっていって、もう完全にデベロッパー主導のハードウェアドリブンなまちづくり一色になっちゃいましたよね。

―まさに、延期となった『東京オリンピック・パラリンピック』に向けて、東京の街並み自体はすごい勢いで変化してきました。しかし、文化的な盛り上がりは生まれていない。そのギャップはどんなふうに捉えていますか?

若林:建築の専門家に聞くと、みなさん、昨今の再開発の背景には2002年の「都市再生特別措置法」の制定があると言います。大規模な開発が可能になって、それは経済を動かすためには良かったのかもしれませんけど、まあ、よっぽど開発業者に知恵がないと、普通に郊外の駅前のようにしかならないですよね。

以前はもっとコンテンツドリブンで動いていたのが、ハードで強引になんとかしようと。そのやり方は、そもそも無理があると思いますけどね。

いま、あらためて不思議に思うのは、自分が学生時代だった1990年代前半の頃を振り返ってみますと、当時まだインターネットなんてなかったのに、いまよりよほど海外との距離が近かった感覚があるんですよね。音楽で言うと高校時代の友人がMelt-Bananaというバンドのメンバーだったので、その活動をまあまあ近くで見ていたんですが、海外ツアーに行って帰ってきたなんて話をリアルタイムで聞けて、面白かったんですよ。ジョン・ゾーンという前衛音楽家が高円寺に住んでいたこともあって、東京が世界のノイズシーンのひとつの重要なハブだったという感覚が、かなりリアルなものとしてあったように思うんです。

若林恵

若林:前衛ギタリストのフレッド・フリスが世界のアンダーグラウンドミュージシャンと交流していくさまを追った『Step Across the Border』(1990年)というドキュメンタリー映画があるんですが、彼が世界を旅しながら、現地の音楽家とセッションしたりする様子が描れていまして、そこでも東京 / 日本は、重要な空間として描かれているんですね。

当時は、そんなふうにノマド的な感覚の人が世界の音楽ネットワークを回遊しているイメージがあって、それが何となくですが、高校生や大学生にも可視化されていたんです。ちなみに、ノマド映像作家として知られるヴィンセント・ムーンは、『Step Across the Border』を観て映像を撮り始めたと言っていますが、そうした1990年代のグローバルなアンダーグラウンドネットワークが、ネットの普及とともになぜか途切れるんですよね。

―その原因には何があると思いますか?

若林:それが、なぞなんですよね。これは『WIRED』で仕事をしていた頃からの大きな疑問のひとつで、ネットカルチャーとそれまであった日本のアンダーグラウンドなカルチャーが、なぜかあまりうまく接続できなかったというのは、それ以降の日本のネット文化に大きな影を落としているような気がするんですね。で、その原因不明のよくわからない分断がなぜ起きたのかというのを、折に触れて人に聞いてみたりするんですが、ある人が、某新興宗教団体が、そこに大きな影を落としているということを話されていたんです。

要は、インターネットカルチャーっていうのは、そもそもが西海岸のヒッピーカルチャーの末裔だったわけですが、その周辺にドラッグカルチャーやら東洋思想やら、さまざまなカルチャーが複合的に渦巻いていたわけですよね。で、よくよく思い返してみると、その某宗教団体は、ドラッグカルチャーにもネットカルチャーにも深くコミットしていた集団だったんですよね。

ドラッグを生産していたという話も聞きますし、デジタル方面で言えば、いち早く「OS」の開発なんかに乗り出していたんですよね。「OSを制するものが世界を制する」という未来を、かなりガチで信じていたんだと思うんですが、その後のApple、Googleの飛躍をみれば、その見立て自体は間違ってもいないんですよね。

若林:ところが、バブルの崩壊とその後に起きる「地下鉄サリン事件」によって、そうしたカルチャー性や思想性といったものが、一種のタブーとなっていき、そのあたりから、デジタルテクノロジーのカウンターカルチャー性や思想性が切れたのかな、と思ったりします。その辺、よくわからないので、本当は誰かが調べてくれるといいな、と思うんですが、IT技術がいつまで経っても文化として定着していかないという日本の停滞は、当時の、本当に都会的なカルチャーエリートとでも言うべき人たちが、ITにコミットする回路を失ったところにあるような気がしていて、そのあたりで、戦後からずっと東京にあったアンダーグラウンドカルチャーの系譜が、なんとなく途絶えたように見えるんですよね。

いま、かろうじてその頃のカルチャーや思想を受け継いでいるのって、DOMMUNEの宇川直宏さんだけなんじゃないかと思うんですが、本当であれば、宇川さん / DOMMUNEが体現してきたようなオルタナティブな価値観は、もっとメインストリームに入っていなくてはならないものだったんじゃないか、という気はしなくもないんです。といって、いま、言ったことはあくまでも全部仮説なんですが。

ノイズシーンからクラブシーンから、サイバーシーンにいたるまで、ある時期まで日本にも、非常にユニークなかたちで「オルタナティブなグローバリゼーション」があったはずなのですが、それと並行して持ち上がった、J-POPやJ-WAVE、Jリーグに代表される「Jの時代」が全面展開していくうちに、なんだかすごく文化が内向的になっていったように感じるんですね。J-WAVEも、Jリーグも本当は、グローバルにつながった新しいカルチャーの象徴であったはずで、J-WAVEで言えば、『TOKIO HOT 100』が夢見ようとしたのは、ドメスティックなものとグローバルなものとが並存する新しいグローバルチャートだったはずで、当時自分も、「そういうのができるのはいいよなあ」と思ってたはずで。

Jリーグの発足も、グローバルなフットボールカルチャーの一部にいよいよ日本も仲間入りするんだっていう、そういう高揚感があったはずなんですけどね。それが、結果から言えば、「J」の名のもとに国際化したように見えただけの、より強固にドメスティックな牢獄になってしまったという。

若林恵

プロフィール

若林恵(わかばやし けい)

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。

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