ドミニク・チェンが解説。コロナ禍に活きる「ウェルビーイング」

ドミニク・チェンが解説。コロナ禍に活きる「ウェルビーイング」

2020/09/25
テキスト
ドミニク・チェン
編集:今井大介(CINRA.NET編集部)

コロナ禍で人と出会うのが困難になった今、個々人の生活環境や心境の変化は計り知れない。デジタルテクノロジーのおかげで、コミュニケーションが成立しているように見える一方で、これまでの生活を変えないといけなくなってしまった状況に、漠然とした不安に苛まれている人も多いであろう。

そんな状況下に活きるのが「ウェルビーイング」。これまでテクノロジーと人間との関係性を研究してきたドミニク・チェンに、自身の体験も交えながら「ウェルビーイング」とは何か、解説してもらった。

(メイン写真撮影:新津保建秀)

コロナ禍の生活で生じた、家族の存在が意識の中心に在るという感覚

この文章を読んでいる人は、すでに半年に及ぶコロナ禍をどのように生きているのでしょうか。この間、生活環境や心境に変化が起こらなかった人はいないでしょう。さまざまな世論調査が行われ、人々の心の動きを示すデータが出てきています。そのなかで、わたしが注目しているのは、家族の意識が変わった人がとても多いことを示す調査結果です。なぜなら、わたし自身、家族との距離が最大の変化だと感じているからです。

その変化を一言で言えば、今まで以上に家族を起点に物事を考えるようになった、ということです。リモートでほとんどの仕事を行わざるを得ないなか、家がメインの活動場所になり、仕事の合間で妻と子どもとご飯を食べたり、雑談をしたり、子どもの勉強を手伝ったりする。

この他愛のない交流が日々蓄積することで、家族の存在が意識の中心に居続ける。すると、仕事の意識も変わってきます。これまでは仕事の合間に家族との時間を見つけ出すという順番だったのが、家族との生活の合間でどう仕事をするか、というように重心が逆転したように思えるのです。特に8歳の娘の心持ちが気がかりで、学校にも行けず、友だちにも会えないなか、どのように遊んだり学んだりできるのかということを今に至るまでずっと考えています。

「ニューノーマル」な時代に、以前から存在する「オールドノーマル」の価値をあらためて噛み締めている感覚

もっとも身近な人たちに注意を向けて生きること。こう書くと当たり前のことのようですが、コロナ禍以降の状況でようやく実現できているように感じています。世間では「ニューノーマル」なんていう言葉がやりとりされていますが、わたしには、以前から存在する「オールドノーマル」の価値をあらためて噛み締めている感覚があるのです。

しかし、同時に、わたしのように家族との生活を満喫できている人は全体のなかで恵まれていると言わざるを得ません。半年のコロナ禍生活のなかで、家族以外に最も時間を過ごしたのは、リモートでつながる学生たちでした。

実家で暮らす人もいれば、一人暮らしの人もいます。わたしがいちばん心を痛めたのは、大学に入学したばかりの一年生たちの多くが、一度もキャンパスで他の学生たちとリアルに接触できなかったという事実です。大学の存在価値の半分ほどは、同年代の他者と出会い、多様な感性と触れ合う機会を提供することだと思うからです。

この間、大学や教員は、学生たちの「学びを止めない」ことを最優先に、授業の運用に腐心してきました。もちろん、大学がしっかりと教育を提供するという観点は大事ですが、より大事なのは学生たちが安心して学習できる環境を作ることではないかと思います。海外の大学の事情を見聞きすると、日本よりもずっと学生たちの「ウェルビーイング」を制度的にサポートしようという機運が高まっています。

「身体」と「精神」に続く、第3の健康バロメーター「ウェルビーイング」

ウェルビーイングという言葉を聞いたことはあるでしょうか。英語では一般名詞として使われるものですが、近年はメンタルヘルスと向き合う意義と共に注目されている心理学の概念です。

その意味は、文字通り「良い在り方」ですが、従来の精神医療とは観点が少し異なります。同じメンタルヘルスの領域でありながら、医学の分野では主に心の病気を治療しようとしてきたのに対して、ウェルビーイングにおいては病気の有無に関わらず、自分や他者の心が良い状態にあることを自覚し、そのための行動を考えようとするものです。WHO(世界保健機構)は、「人間の健康」を、「身体的、精神的、そして社会関係上のウェルビーイングが満たされること」と定義しており、国連が推進する持続可能な開発目標(SDGs)もウェルビーイングを重要な項目として掲げています。

半世紀にわたる研究で見つかった、人々の心の良い状態をもたらす3つの要因

これまで半世紀ほど、主に西洋社会を中心にウェルビーイングの研究が進んできました。その過程で、人々に心の良い状態をもたらすさまざまな「因子」が見つかってきました。ウェルビーイングの因子は、およそ3つのカテゴリーに分けることができます。

1つは医学的ウェルビーイング。身体や精神の病を予防したり、病気から回復したりすることを目指す領域で、これまでの医療に近い分野です。

残りの2つが快楽的ウェルビーイングと持続的ウェルビーイングで、こちらは精神のマイナスをゼロにするというよりは、プラスを増やしたり維持したりすることに主眼が置かれています。

快楽的ウェルビーイングとは、瞬間的なポジティブ感情を増やしたり、ネガティブ感情を減らしたりすることに焦点を当てる考え方で、持続的ウェルビーイングは「生きる意味」のように、もっと長い時間軸で心を支える仕組みを探求する分野です。

わたしは数年前より、デジタルテクノロジーが人々のウェルビーイングにもたらす影響について研究を行っています。わかってきたことは、テクノロジーはあくまで道具であって、使い方によってはウェルビーイングに利したり、逆に害したりすることがあるという、ある意味当たり前のことです。

そして、より大事なのは、ウェルビーイングをもたらす因子を各人が自律的に考え、行動に移すことです。自律的に、というのは、自分で自分のルールを決めるということを意味します。たとえば、心理学の研究結果は人の心の働きをさまざまに解明していますが、それを従うべき普遍的なルールとして受け取ってしまっては思考停止に陥ります。理論や情報はあくまで参考にしつつ、自分や周りの人たちのウェルビーイングに寄与するローカルな状況に注意を向けることが大事なのです。

プロジェクト情報

「コロナ禍のウェルビーイングを考える」アンケート

ドミニク・チェンが実施しているアンケート。ウェルビーイングについては、ただ考えるだけではなく、言葉にしたり、人と話し合ったりすることによって、自分の心の動きを見つめ直すきっかけにもなる。

プロフィール

ドミニク・チェン(どみにく・ちぇん)

博士(学際情報学)。早稲田大学文化構想学部准教授。一貫してテクノロジーと人間の関係性を研究している。近著に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)、共著に『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために: その思想、実践、技術』(ビー・エヌ・エヌ新社)。2020年10月16日から2021年3月7日まで21_21 DESIGN SIGHTでディレクションを務める『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』が開催。

感想をお聞かせください

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
回答を選択してください

ご協力ありがとうございました。

Categories

カテゴリー

『CUFtURE』(カフチャ)は、au 5Gや渋谷未来デザインなどが主導する「渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト」とCINRA.NETが連携しながら、未来価値を生み出そうとする「テクノロジー」と「カルチャー」の横断的なチャレンジを紹介し、未来志向な人々の思想・哲学から新たなヒントを見つけていくメディアです。そしてそれらのヒントが、私たちの日々の暮らしや、街のあり方にどのような変化をもたらしていくのか、リサーチを続けていきます。