コムアイと渋谷の関わりは深い。彼女がボーカルを務めるユニット、水曜日のカンパネラが2015年にリリースした楽曲“メデューサ”のミュージックビデオでは、煌々と輝くシャンデリアを松明のように掲げたコムアイが、夜の渋谷を「探検」していく姿が描かれていたし、その前年には渋谷を練り歩きながらゲリラライブを行なっていた姿も記憶に新しい。神奈川出身の彼女にとって、渋谷はさほど遠くない場所。20代の頃は、どのエリアよりも過ごした場所だと本インタビューでも語ってくれている。ここ最近は、屋久島や久高島、熊野古道など都会から離れた場所での活動を精力的に行なっているコムアイ。少し離れた場所から見た渋谷は、彼女の目にどう映っているのだろうか。
YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」
新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。
おばあちゃんになってから歩いたら、通りのすべてがあまりに懐かしくて感動すると思います。
―初めて渋谷に来た頃のことを覚えていますか?
コムアイ:田園都市線沿いで育ったので、一番近い都会が渋谷でした。母に連れられて買い物に行ったのは6歳くらいかな? 人ごみで気持ち悪くなってしまいました。そのあとは中学生くらいだと思います。
―その後、渋谷との付き合いも長くなったと思いますが、改めて渋谷が好きな理由を教えてください。
コムアイ:渋谷が好きかは、わかりません。事務所があり、ライブハウスがあり、映画館があり、クラブがあり、古着屋があり、カフェがあり、飲み屋があり。仕事でもプライベートでも、とにかくどのエリアよりも20代を過ごした場所ですね。
東京の他のエリアは、好きな理由があってわざわざ通うけれど、渋谷だけは、選べない最寄駅みたいな存在(笑)。無意識にすごく長い時間を渋谷で過ごしているので、おばあちゃんになってから歩いたら、通りのすべてがあまりに懐かしくて感動すると思います。それまでは、好きとか嫌いとかじゃなくて、便利な最寄駅って感じでしょうか。
コムアイ
歌手・アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受け歌い始める。「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。その土地や人々と呼応してライブパフォーマンスを創り上げる。好きな音楽は世界の古典音楽とテクノとドローン。好きな食べ物は南インド料理とグミとガム。趣味は世界各地に受け継がれる祭祀や儀礼を見に行くこと。音楽活動の他にも、モデルや役者など様々なジャンルで活動している。
―渋谷は多様な文化や人が集まってくる場所ですが、渋谷のどんな文化に影響や刺激を受けましたか?
コムアイ:いろんな規模のライブハウスがあり、失敗をたくさんしたり、良いライブに刺激を受けたりしました。同じくらいの歳の人たちがいろんな音楽をやっていて、最初はそれを知るだけで新鮮でした(笑)。
でも、私が知っているここ10年の渋谷は、お店ごとの文化的な求心力はあったとしても、街としては本当に多様すぎて、渋谷らしさというものは思い浮かばないです。だからこそ、偏らない老若男女が行き交う、パブリックな場所のイメージが強くて、公の場所に自分のパフォーマンスが触れて摩擦が起きるようなことがやりたいと思ったのかもしれません。ライブハウスの客席や、MVのゲリラ撮影、大昔に駅前からWWWまでライブしたのが懐かしいです。あと、渋谷駅の構内に貼られた自分の写っている広告にステンシルをしたのも思い出深いですね。
―渋谷で好きなお店はありますか?
コムアイ:渋谷で時間ができたら「BOY」に行くかなあ。「BOY」ではよく、衣装を買ってそのままライブに行ったりしてました(笑)。
人に会っていない時の自分が、誰にも影響されていない本当の自分だと勘違いしていた。
―新型コロナウイルスの影響で、ご自身の生活やお仕事にも変化があったと思います。どんな変化があり、その間どのようなことを考えましたか?
コムアイ:長めの冬眠みたいな感じでした。今は対面の仕事も増えていますが、一時期は本当に何もなくて、初めての経験でした。人に会っていない時の自分が、誰にも影響されていない本当の自分だと勘違いしていたことに気づきました。本当の自分という言葉自体が変で、いろんな人と自分の間を考えが行き交って、影響したりされたりする状態で自分らしさを認識しているんだと思うようになりました。だから改めて街というのは、他人を感じる場所、社交場だなと。
―ちなみにコロナがきっかけとなって、新たに取り組んだこと、試したことなどありますか?
コムアイ:ムネアカオオアリの観察ですね。
―アリの観察といえば、最近は屋久島プロジェクトを始動したり、アイヌの文化に興味を持たれたり、「自然」との関わりが以前よりも増えている印象ですが、そうした経験を経て振り返ってみたときに街の印象は変わりましたか?
コムアイ:空から撮った街の映像を見ていると、ありの巣のように感じます。鳥が巣作りをするように、世界中に移動して材料を集め、組み上げていく。直線や直角が多く、私たちには無機的に感じますが、遠くから見ると有機的な形をしているかもしれませんね。
―確かに、刻一刻と変化している渋谷の街並みも、俯瞰すれば有機的な営みに見えるかもしれません。街にとって変化は宿命ですが、残り続けて欲しい渋谷の魅力や、これからの渋谷に期待したいことがあれば教えてください。
コムアイ:コロナウイルスが流行してから初めて渋谷に行った時に、街が過去のように感じられて驚きました。タイムスリップのような、不思議な感覚。その時に見た老舗の喫茶店「Paris COFFEE」の閉店のおしらせの貼り紙が印象に残っています。そこには、渋谷に川が流れていた頃の話から始まり、お店の家具は大事にしてくれる方に預かってもらったことなどが書いてありました。
コムアイ:渋谷が文化を生み出す渦を取り戻した方が良いのなら、お金を使えないスペースを増やしたらいいと思います。公園やストリートの隙間が遊び場として機能するといいなと思います。お金がなくて時間があって、安いもので工夫して過ごしていく瞬間に、面白い文化が生まれてくるのではと思います。
―コロナにより、エンターテイメントは大きな打撃を受け、これからどう進んでいけばいいのか途方に暮れている人もたくさんいると思います。そういった人たちに、最後にメッセージをお願いします。
コムアイ:今までやっていたことができないと途方に暮れてる人がいるかもしれないですが、今までやっていたことをしたくなくなっている自分がいると思います。その声に耳を傾けて、時間がかかっても素直な新しい道に行けるといいなと思います。
サイト情報
- 『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
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23万人の渋谷区民と日々訪れる300万人もの人たちが支えてきた渋谷の経済は“自粛”で大きなダメージを受けました。ウィズコロナ時代にも渋谷のカルチャーをつなぎとめるため、エンタメ・ファッション・飲食・理美容業界を支援するプロジェクトです。
プロフィール
- コムアイ
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歌手・アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受け歌い始める。「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。その土地や人々と呼応してライブパフォーマンスを創り上げる。好きな音楽は世界の古典音楽とテクノとドローン。好きな食べ物は南インド料理とグミとガム。趣味は世界各地に受け継がれる祭祀や儀礼を見に行くこと。音楽活動の他にも、モデルや役者など様々なジャンルで活動している。