Kダブシャインが抱える複雑な感情 変わりゆく地元の風景に何を想う

Kダブシャインが抱える複雑な感情 変わりゆく地元の風景に何を想う

2020/09/04
インタビュー・テキスト・編集
タナカヒロシ
撮影:玉村敬太

社会性の強いメッセージを発信するとともに、日本語ラップにおける韻の踏み方を確立させたラッパーとして、キングギドラでデビューした1990年代より後進に多大な影響を与えてきたKダブシャイン。渋谷生まれ渋谷育ちであり、渋谷をテーマにした楽曲も数多く発表している彼の目には、現在の渋谷はどのように映っているのだろうか。自分を育ててくれた渋谷への感謝、絶え間ない再開発によって姿を変える渋谷への失望、そして新型コロナウイルスの影響で大きな打撃を受けた渋谷への恩返しの気持ちなど、地元であるがゆえに抱えている複雑な想いを語ってもらった。他所から来て渋谷で遊ぶ人や働く人とは少し異なる感情をぜひ知ってほしい。

YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」

新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。

YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディング

タワーレコードもあったし、機材を売っている店もあったし、音楽ファンになる仲間が増えやすい環境だった。

―渋谷生まれ渋谷育ちのKダブさんにとって、渋谷はどんなイメージですか?

Kダブシャイン:僕は渋谷区富ヶ谷で育ったので、そこから渋谷駅のほうに歩いて、東急百貨店本店の前あたりからが繁華街としての渋谷というイメージなんです。普通は渋谷のイメージというと、駅前から109とかを見た景色だと思うんですけど、僕は逆に駅のほうを見た絵が浮かぶんですよね。

Kダブシャイン(けーだぶしゃいん)<br>1968年5月8日生まれ、東京都渋谷区出身。渋谷区立神南小学校、渋谷区立松濤中学校を卒業。17歳でアメリカに留学し、以降約8年間を断続的にアメリカで過ごす。1993年にZEEBRA、DJ OASISとともにキングギドラ(現KGDR)を結成、リーダーを務める。1995年にアルバム『空からの力』でデビュー。社会性の強いメッセージと日本語での押韻を完成させた作品として、ヒップホップシーンに多大な影響を与える。その後もソロやRadio Aktive Projeqtで活動するほか、豊富な知識を活かしてコメンテーターとしても数々のメディアに出演。著書に自身と渋谷の歴史を綴った『渋谷のドン』がある。
Kダブシャイン(けーだぶしゃいん)
1968年5月8日生まれ、東京都渋谷区出身。渋谷区立神南小学校、渋谷区立松濤中学校を卒業。17歳でアメリカに留学し、以降約8年間を断続的にアメリカで過ごす。1993年にZEEBRA、DJ OASISとともにキングギドラ(現KGDR)を結成、リーダーを務める。1995年にアルバム『空からの力』でデビュー。社会性の強いメッセージと日本語での押韻を完成させた作品として、ヒップホップシーンに多大な影響を与える。その後もソロやRadio Aktive Projeqtで活動するほか、豊富な知識を活かしてコメンテーターとしても数々のメディアに出演。著書に自身と渋谷の歴史を綴った『渋谷のドン』がある。

―音楽をやるようになったのは、渋谷で育ったことも影響していますか?

Kダブシャイン:それは大きいと思いますよ。タワーレコードもあったし、機材を売っている店もあったし。タワレコでは輸入盤のレコードが日本盤の半額くらいで買えたから、2倍楽しめてましたよね。友達同士で聴かせ合ったりもして、音楽ファンになる仲間が増えやすい環境だったと思います。

僕が若い頃のレコード屋はタワレコとCISCOくらいでしたけど、それからレコード屋がいっぱいできて「レコ村」なんて言われて、ヴァージンメガストア、HMV、TSUTAYAとか大きい店もできて。特に1990年代終わりくらいから2000年代頭くらいは、音楽の街という感じでしたよね。

―昔からクラブも多かったんですか?

Kダブシャイン:クラブは15歳くらいから顔を出すようになったけど、その頃は渋谷より六本木のほうに行ってたかな。でも、いつも渋谷の街にふらふら出歩いていたから、そこで音楽以外のこともたくさん学びましたね。揉め事とかもいろいろあったし(笑)。

―そういうことは曲にも反映されていますよね。“渋谷のドン”とか、“渋谷が住所”とか、“ILL STREET BLUES”とか、“ビッグコッタ”とか。

Kダブシャイン:まぁ、どこに住んでいても、ヒップホップは自分の地元を曲にするものだから。特に“渋谷が住所”は、自分の人生のなかでのターニングポイントを曲にしていて。渋谷で育って、気づいたことで、より成長できた。酸いも甘いもみたいな感じの曲になっていますね。

Kダブシャイン“渋谷のドン”を聴く(Apple Musicはこちら

Kダブシャイン

サイト情報

『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』

23万人の渋谷区民と日々訪れる300万人もの人たちが支えてきた渋谷の経済は“自粛”で大きなダメージを受けました。ウィズコロナ時代にも渋谷のカルチャーをつなぎとめるため、エンタメ・ファッション・飲食・理美容業界を支援するプロジェクトです。

プロフィール

Kダブシャイン(けーだぶしゃいん)

1968年5月8日生まれ、東京都渋谷区出身。17歳でアメリカに留学し、以降約8年間を断続的にアメリカで過ごす。1993年にZEEBRA、DJ OASISとともにキングギドラ(現KGDR)を結成、リーダーを務める。1995年にアルバム『空からの力』でデビュー。社会性の強いメッセージと日本語での押韻を完成させた作品として、ヒップホップシーンに多大な影響を与える。その後もソロやRadio Aktive Projeqtで活動するほか、コメンテーターとしても数々のメディアに出演。2020年7月から放送中のテレビ朝日『フリースタイルティーチャー』では、ヒップホップの歴史や伝説的人物を解説する「教授」として活躍。

感想をお聞かせください

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
回答を選択してください

ご協力ありがとうございました。

Categories

カテゴリー

『CUFtURE』(カフチャ)は、au 5Gや渋谷未来デザインなどが主導する「渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト」とCINRA.NETが連携しながら、未来価値を生み出そうとする「テクノロジー」と「カルチャー」の横断的なチャレンジを紹介し、未来志向な人々の思想・哲学から新たなヒントを見つけていくメディアです。そしてそれらのヒントが、私たちの日々の暮らしや、街のあり方にどのような変化をもたらしていくのか、リサーチを続けていきます。