toe山㟢インタビュー アフターコロナの活動や、残すべき文化について

toe山㟢インタビュー アフターコロナの活動や、残すべき文化について

2020/11/27
インタビュー・テキスト・写真・編集
黒田隆憲

テクニックに裏打ちされた鉄壁のアンサンブルと、圧倒的なライブパフォーマンスによって国内外で大きな支持を集める4人組インストゥルメンタル・バンドtoe。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、今年は主だったライブ活動がほとんどできなかった彼らだが、布告された政府からの自粛要請により収益が得られなくなってしまった全国120箇所以上のライブハウスと連携し、支援するプロジェクト『MUSIC UNITES AGAINST COVID-19』を4月に発足するなど、日本の音楽シーン、カルチャー、エンターテイメントの未来について率先して考え続けてきた。バンドのギタリスト山㟢廣和は、音楽活動と並行しデザイン会社METRONOME INC.を運営する経営者でもある。バンドマンとして、ビジネスマンとして長年「渋谷」に軸足を置いてきた彼は、この街の今、そしてこれからをどう見ているのだろうか。

YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」
新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。

YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディング

東京で音楽活動をしていれば、自然と渋谷が拠点の一つにはなってきますよね。

―初めて渋谷に来た時のことを覚えていますか?

山㟢:「初めて」というのは憶えてないけど、小学校高学年の時には一人で電車に乗って、渋谷まで映画を観に行っていましたね。雑誌『SCREEN』や『ロードショー』を買って、「よし、これを観にいくぞ」って。クラスメートとは映画の趣味も違うから、一人で行くしかなかったんですよ。デヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』とか強烈に憶えているんだけど、今だったらR指定になりそうな映画を1日に2、3本観て帰ってくるということをしていましたね。その頃から雑誌『宝島』とか読んでいたし、やっぱりカルチャー的なものへの憧れが強かったのだと思います。

山㟢廣和(やまざき ひろかず)<br>2000年、美濃隆章(Gt)、山根敏史(Ba)、柏倉隆史(Dr)とともにインストゥルメンタル・バンドtoe結成。テクニックに裏打ちされたアンサンブルと圧倒的なライブパフォーマンスによって国内外で大きな支持を集める。メジャーレコード会社とは契約せず、自主レーベルMachupicchu INDUSTRIASを立ち上げて音源を発表。海外ではTopshelf RecordsなどからCDやレコードをリリースしている。2007年に本人主宰のデザイン会社METRONOME INC.を設立。
山㟢廣和(やまざき ひろかず)
2000年、美濃隆章(Gt)、山根敏史(Ba)、柏倉隆史(Dr)とともにインストゥルメンタル・バンドtoe結成。テクニックに裏打ちされたアンサンブルと圧倒的なライブパフォーマンスによって国内外で大きな支持を集める。メジャーレコード会社とは契約せず、自主レーベルMachupicchu INDUSTRIASを立ち上げて音源を発表。海外ではTopshelf RecordsなどからCDやレコードをリリースしている。2007年に本人主宰のデザイン会社METRONOME INC.を設立。

―内装業の仕事に就くまでは、原宿のアパレルショップで働いていたそうですね。

山㟢:高校を卒業してグラフィックデザインの専門学校へちょっとだけ行って辞めて、そのあとは原宿のストリート系用洋服ブランドの店でバイトしていました。渋谷にも店舗があったので、その頃は毎日のように渋谷と原宿を行き来していましたね。僕らの世代にとって、その頃の渋谷~原宿は「カルチャー最先端の街」。ちょうど僕が19歳くらいの頃に、「裏原宿」のブームが到来して。そういう流行りの場所にいたいという気持ちが当時はすごくありましたね。

特にファッションへの興味があったわけでもなく、洋服屋でバイトをしていると、会社勤めしているよりも友人が訪ねやすいというか。その頃はすでにバンド活動も始めていたんですけど、メンバーとか、対バンして知り合った音楽仲間とか、みんな若くて暇だからぶらぶらっと遊びに来てくれるんですよね。そういうコネクションを広げる意味でも、洋服屋さんは便利でした。

―内装の仕事に興味を持つようになったきっかけは?

山㟢:「インテリアっていいな」と思っていた時に、ちょうどバンド関係の先輩が洋服ブランドを始めたんです。

「今、内装工事やっているんだ」というから見学しに行ったら、裏原のショップ内装などもやっていた親方が施工していて。面白そうだなと思ってバイト終わりに手伝うようになり、気付けば洋服屋のバイトを辞めて内装工事をやるようになっていました。独立したのも結構早かったんですよ。23歳くらいの頃にはグラフィックデザイナーの仁井くんと共同でデザイン会社を設立しました。その後、2007年に僕が代表のインテリアデザインの会社としてMetronome Inc.を作りました。

―現在、事務所は学芸大学にあるんですよね。やはり渋谷区、目黒区あたりが山㟢さんの拠点?

山㟢:実家が日吉だったので、もともと遊ぶエリアも東横線沿線が中心というか。渋谷より向こう、新宿や池袋、高円寺とかは結構遠いイメージで、やっぱり渋谷や中目黒あたりをぶらぶらしていることが今も多いです。それに、東京で音楽活動をしていれば、自然と渋谷が拠点の一つにはなってきますよね。ワンマン公演も恵比寿LIQUIDROOMやSHIBUYA O-EASTなどでやってきましたし。

―ちなみに、渋谷で好きなお店やスポットというと?

山㟢:このくらいの年齢になってくると、駅前のガチャガチャしたところは苦手で、仕事以外では近づかなくなってきましたね(笑)。いいなぁと思うエリアは神山町近辺で、アップリンクがある道沿いには「アヒルストア」をはじめとして、こう、意識を持った良い感じの飲食店が多いので、食事に呼ばれて行くことがここ10年くらいで増えました。若い頃はお金もないし、食えればなんでもいいと思っていたけど(笑)。

山㟢廣和

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『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』

23万人の渋谷区民と日々訪れる300万人もの人たちが支えてきた渋谷の経済は“自粛”で大きなダメージを受けました。ウィズコロナ時代にも渋谷のカルチャーをつなぎとめるため、エンタメ・ファッション・飲食・理美容業界を支援するプロジェクトです。

プロフィール

山㟢廣和(やまざき ひろかず)

2000年、美濃隆章(Gt)、山根敏史(Ba)、柏倉隆史(Dr)とともにインストゥルメンタル・バンドtoe結成。テクニックに裏打ちされたアンサンブルと圧倒的なライブ・パフォーマンスによって国内外で大きな支持を集める。自主レーベルMachuPicchu Industriasを立ち上げて音源を発表。海外ではTopshelf RecordsなどからCDやレコードをリリースしている。2007年に本人主宰のデザイン会社「METRONOME INC.」を設立。

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