今は文化を作り直すチャンス。小宮山雄飛が語る地元民目線の渋谷

今は文化を作り直すチャンス。小宮山雄飛が語る地元民目線の渋谷

2020/09/02
インタビュー・テキスト・編集
タナカヒロシ
撮影:天田輔

原宿で生まれ育ち、現在も渋谷に事務所を構える小宮山雄飛さんだが、1996年にホフディランでデビューした当初は、東京出身であることをできるだけ隠していたという。それがいまや渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダーを務め、積極的に地元について発信するようになったのには、どのような心境の変化があったのだろうか。ほぼすべての楽曲が渋谷区内で生まれたという音楽への影響をはじめ、長く住んでいるからこそわかる渋谷の魅力について、そして新型コロナウイルスの感染拡大によって「生まれ変わるチャンス」が訪れているという現在の渋谷について、地元民ならではの豆知識もふんだんに混じえながら語ってもらった。

YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」

新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。

YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディング

音楽界で東京生まれはいい印象を持たれなかったから、自分からは言わないようにしていた。

―原宿生まれ原宿育ちの小宮山さんにとって、渋谷区はどんな街ですか?

小宮山:本当にホームグラウンドですね。実家は原宿で、事務所も渋谷にあって。プライベートも含めて、ほぼ渋谷区内で生活していると思います。

小宮山雄飛(こみやま ゆうひ)<br>1973年8月14日生まれ、東京都渋谷区出身。ホフディランのボーカル&キーボーディストとして、1996年にシングル『スマイル』でデビュー。ザ・ユウヒーズ、BANK$名義でも作品を発表する。豊富な知識を活かして各種媒体への出演や寄稿などでも活躍し、カレーのレシピ本を出版するなど食に対する造詣も深い。2015年より渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダーも務める。
小宮山雄飛(こみやま ゆうひ)
1973年8月14日生まれ、東京都渋谷区出身。ホフディランのボーカル&キーボーディストとして、1996年にシングル『スマイル』でデビュー。ザ・ユウヒーズ、BANK$名義でも作品を発表する。豊富な知識を活かして各種媒体への出演や寄稿などでも活躍し、カレーのレシピ本を出版するなど食に対する造詣も深い。2015年より渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダーも務める。

―小宮山さんの過去のコラムで、デビューした頃は原宿生まれを隠していたと書かれていたのを見ました。

小宮山:そうですね(笑)。音楽界においては、東京生まれはあまりいい印象を持たれなかったんですよ。特に一部のバンド系メディアで、地方から出てきて東京でのし上がったヤツが偉いという価値観があって、東京生まれは「なんだ都会っ子か」みたいなことを言われたんです。だから隠していたわけではないけど、初期の頃は自分からは言ってなかったですね。

―いまは積極的に話されるようになって、渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダーも務められてますけど、気持ちが変わった理由は?

小宮山:大きなきっかけがあったわけではないんですけど、あえて言うならヒップホップがそういう流れを変えたのかなって。もちろん地方発のヒップホップもありますけど、東京でも渋谷とか、世田谷とか、下町のほうとか、レペゼンどこどこ的なことを言っていい風潮ができたじゃないですか。その影響とまでは断言できないですけど、10年前くらいから渋谷とか原宿とかを堂々と言えるようになったんですよね。

―音楽をやるうえで、渋谷でよかったなと思うことはありましたか?

小宮山:音楽以外の人とのつながりが多いことですね。音楽をやっていれば、音楽関係の人とのつながりは自然にできていくと思うんですけど、渋谷区で育つと、まわりにファッション業界に行く人もいれば、飲食に行く人もいれば、もちろん普通の会社員になる人もいて。音楽以外の人とつながりを持ちながら、しっかり音楽もできたことは、すごくよかったなと思いますね。

渋谷区は住宅街もあれば、繁華街もあれば、ターミナルステーションもあって、いろんな要素があるじゃないですか。それに地元のつながりもあれば、外から来た人とのつながりもあるし、ファッションのつながりもあれば、音楽のつながりもある。それは住んでいても遊びに来るとしても、一つの強みだなと思います。

―小宮山さんが音楽制作をしてきたなかで、渋谷だったことが影響している作品はありますか?

小宮山:ほとんど全部ですね(笑)。原宿の実家で制作していた時期もあるし、いまは渋谷区役所の横に事務所があるし、レコーディングも神泉駅近くのSTUDIO SUNSHINE(住所としては目黒区)を使うことが多いので。

ひとつ面白い影響で言うと、実家は表参道が見えるところにあるんですけど、表参道は明治神宮の参道として整備されたこともあって、冬至の日に太陽が真上を通るように設計されているんです。だから、明け方まで制作していると、道の向こうから太陽がぐーっと昇ってくる。当時は意識していなかったんですけど、僕の歌詞にはよく「夜」とか「朝」とかの言葉が出てくるので、なんらかの影響は受けていると思うんです。

ホフディラン“夜を越えて”

―それを知ると曲を聴いて浮かぶ情景も変わってきそうですね。

小宮山:あと、明治神宮や代々木公園は都内のなかでも自然豊かなところで、原宿は半分くらいが昔から住宅街だから、意外と夜早いんですよ。渋谷駅のほうは夜中でも人がいますけど、原宿のほうは夜になったら静かで、朝になるとまた賑わいが戻る。だから24時間とか1週間とか1年とか、四季や時間の流れを明確に感じられる場所なんです。それは作品にもすごく影響していると思いますね。

小宮山雄飛

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『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
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プロフィール

小宮山雄飛(こみやま ゆうひ)

1973年8月14日生まれ、東京都渋谷区出身。ホフディランのボーカル&キーボーディストとして、1996年にシングル『スマイル』でデビュー。ザ・ユウヒーズ、BANK$名義でも作品を発表する。豊富な知識を活かして各種媒体への出演や寄稿などでも活躍し、カレーのレシピ本を出版するなど食に対する造詣も深い。2015年より渋谷区観光大使兼クリエイティブアンバサダーも務める。

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