Kダブシャインが抱える複雑な感情 変わりゆく地元の風景に何を想う

Kダブシャインが抱える複雑な感情 変わりゆく地元の風景に何を想う

インタビュー・テキスト・編集
タナカヒロシ
撮影:玉村敬太

(よそ者に対して)なんで俺たちのところに来るんだよ、自分の街で遊べよと思ってました。

―渋谷もたくさんの変化があったと思うんですけど、そのなかで変わらないなと感じている渋谷の魅力を教えてください。

Kダブシャイン:ほとんどのことが変わってしまったからなぁ……。

―逆に言うと、変わり続けることが渋谷らしさという部分も?

Kダブシャイン:うーん、経済に迎合しすぎて、変わり方が不自然な感じがするんですよね。地震に対する耐性とか、そういう事情もあるんでしょうけど、あんなに景観をガラッと変えるほどやらなきゃいけなかったのか、ちょっと疑問はありますね。僕としては、あんまりいい気持ちはしてないです。

古き良きものは、できるだけ修復して残してもらいたいんですよ。全部とっぱらって新しいものをドンと作ると、フロア数を増やせてビジネスとしてはいいんでしょうけど、情緒がなくなるのはね……。たとえばニューヨークだったら、昔の映画を見ても、いまの映画を見ても、変わらないところがあって、またそこが撮影に使われたりするけど、そういうことが渋谷は全然できないじゃないですか。それはもったいないなと思うんです。

―そんななかでも、思い出深い場所はありますか?

Kダブシャイン:一つに絞るのは難しいですよね。でも、富ヶ谷とかのあたりは、そこまで変わっていないというか。最近はオクシブなんて呼ばれて、街並みとか住んでいる人の心意気も変わってきた感じがしますけど、いまでも親子で楽しいことをしたいですねとか、小学校のみんなで壁に絵を描きましょうとか、そういう健全な地域コミュニティの空気が流れているんですよ。

やっぱり渋谷駅方面に来ると完全に繁華街だし、(近隣にラブホテルや風俗店が多い)道玄坂あたりは邪な気持ちで歩いているおじさんとかもいるじゃないですか。それに比べると富ヶ谷とか代々木公園とか代々木八幡とか、あの周辺はいいバイブスがあるし、面白いことをやろうっていうクリエイターがお店を出すことも多くて、ちょっと賑やかになっていますね。

Kダブシャイン

―同じ渋谷でもエリアによって大きく違うんですね。道玄坂あたりも、子どもの頃から行くことがあったんですか?

Kダブシャイン:小学校4~5年くらいのときに剣道をやっていたんですけど、そのときの通り道でしたね。剣道帰りに道玄坂を歩いていると、男に殴られてる女の人がいて、「なんでみんな止めないんだろう?」と思いながら見ていた記憶はあります。

―子どもながらに危険を感じたりはしていなかったんですか?

Kダブシャイン:危険というよりは、そこに馴染むというか、主導権を持つしかないというか。小学校5~6年くらいから、自然と「よそ者にはなめられない」みたいな感覚は目覚めてましたよ。ヤンキーっぽくなっている先輩も多かったし、自分もああいうふうになるんだろうな、渋谷を守らなきゃなという意識はありましたね。

―高校生の頃は渋谷の自警団を作られていたとか。

Kダブシャイン:そうそう。自称ですけどね。学校終わったり、学校やめたり、バイト終わって帰ってきたりしたやつが集まって、たむろしていただけですけど。

―たまたま場所がセンター街だっただけで、どこの地域でもある若者のたまり場みたいな。

Kダブシャイン:その頃は街でケンカが多かったんです。1日2~3件、当たり前のようにあって。それを止めると巻き込まれて、警察が来て一緒に宇田川交番に連れて行かれて、「またお前らか!」みたいなことを言われるんです。それで「違うんですよ、止めようとしたんですよ」って。警官も「俺たちの街なんで」って言うと、けっこうわかってくれて、すぐ帰してもらえましたけどね。まぁ、16~17歳くらいで元気が有り余っていた時期でもあったので。

―渋谷にはいろんな人が集まってくるから、知らない人に変えられていくことに抵抗があったという感じですか?

Kダブシャイン:それはおおいにありましたね。なんで俺たちのところに来るんだよ、自分の街で遊べよと思ってました。だから周辺の学校の生徒が来たときは、バチバチしてましたね。

Kダブシャイン

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『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
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23万人の渋谷区民と日々訪れる300万人もの人たちが支えてきた渋谷の経済は“自粛”で大きなダメージを受けました。ウィズコロナ時代にも渋谷のカルチャーをつなぎとめるため、エンタメ・ファッション・飲食・理美容業界を支援するプロジェクトです。

プロフィール

Kダブシャイン(けーだぶしゃいん)

1968年5月8日生まれ、東京都渋谷区出身。17歳でアメリカに留学し、以降約8年間を断続的にアメリカで過ごす。1993年にZEEBRA、DJ OASISとともにキングギドラ(現KGDR)を結成、リーダーを務める。1995年にアルバム『空からの力』でデビュー。社会性の強いメッセージと日本語での押韻を完成させた作品として、ヒップホップシーンに多大な影響を与える。その後もソロやRadio Aktive Projeqtで活動するほか、コメンテーターとしても数々のメディアに出演。2020年7月から放送中のテレビ朝日『フリースタイルティーチャー』では、ヒップホップの歴史や伝説的人物を解説する「教授」として活躍。

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