SHIBUYA109が、コロナ禍で若者に伝えたいメッセージとは

SHIBUYA109が、コロナ禍で若者に伝えたいメッセージとは

2020/09/01
インタビュー・テキスト・写真・編集
黒田隆憲

「渋谷」と聞いて、あなたが真っ先に思い浮かべるイメージは? きっと多くの人が、「スクランブル交差点にそびえ立つSHIBUYA109渋谷店の巨大なシリンダー広告」と答えるのではないだろうか。建築家、竹山実が設計した円柱型の斬新な外壁には、これまでに安室奈美恵やSMAP、東方神起など時代の「顔」となるアーティストが掲げられ、日々目まぐるしく変化していく渋谷という街のランドマークとして、圧倒的な存在感を放ってきた。1979年に前身である「ファッションコミュニティ109」としてオープン以来、40年以上も変わらぬ姿で渋谷を見守り続けているSHIBUYA109渋谷店。しかしファッションビルとして流行の最先端を走り続けるために、その裏では様々な試行錯誤を繰り返してきたという。現在、メインターゲットをZ世代に据えているSHIBUYA109。これからの未来を担う若者たちに、コロナ禍でどのようなメッセージを発信しようとしているのか。代表取締役の木村知郎さんに聞いた。

YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」

新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。

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渋谷は「大人の街化」しているという人もいますが、この街はそんな世代論では片付けられないほど拡大しています。私は渋谷の魅力は「カオス性」だと思う。

―渋谷のシンボル的存在であるSHIBUYA109渋谷店はどのような商業施設なのか、特徴やコンセプトなどについて教えてください。

木村:SHIBUYA109にはターゲット層であるZ世代(1996年~2010年生まれ)の中の、「around20」のお客様が大好きなモノやコトが全て詰まっていて、行くこと自体にワクワクドキドキするような施設を目指しています。アパレルだけでなく、コスメやスイーツ、エンタメショップ、SNS動画配信スタジオなど様々なエンターテイメントを集め、そこでしか味わえない体験や感動を、さらに一人ひとりが発信したくなる場所を目指しています。

木村知郎(きむら ともお)<br>1964年、東京・世田谷区生まれ。大学卒業後、東京急行電鉄(現東急)に入社。様々なセクションの経験を経て、2016年に「東急モールズデベロップメント」へ異動し、SHIBUYA109事業本部長に就任。2017年4月、「東急モールズデベロップメント」から分社化する形で「SHIBUYA109エンタテイメント」が誕生し、同時に代表取締役社長に就任。
木村知郎(きむら ともお)
1964年、東京・世田谷区生まれ。大学卒業後、東京急行電鉄(現東急)に入社。様々なセクションの経験を経て、2016年に「東急モールズデベロップメント」へ異動し、SHIBUYA109事業本部長に就任。2017年4月、「東急モールズデベロップメント」から分社化する形で「SHIBUYA109エンタテイメント」が誕生し、同時に代表取締役社長に就任。

―木村さんは、SHIBUYA109でどのようなお仕事をされているのか、内容や特徴、その想いを、読者に向けて教えてください。

木村:私は代表者として全ての決定を行いますが、当社の社員や出店者様のスタッフの皆様等、そこで働く人たちの夢や願いを実現できるような環境を整えることが最も大切な仕事だと思っています。当社の企業理念である「Making You SHINE!」の実現ですね。

―SHIBUYA109渋谷店は、そもそもどのような経緯でオープンしたのでしょうか。

木村:SHIBYA109渋谷店の前身である「ファッションコミュニティ109」がオープンした1979年という時代を振り返ると、渋谷の商業は西武渋谷店から公園通り周辺の神南エリア、そこから繋がる「PARCO PART1」「PARCO PART 2」が誕生し、商業施設という点では道玄坂周辺はおいていかれていました。「東急ハンズ」が1978年9月に、「ファッションコミュニティ109」が1979年4月に開業した後、現在の文化村通りに面して、SHIBUYA109渋谷店よりも上の年代をターゲットにした「ワン・オー・ナイン」と「ワン・オー・ナイン30’s」が開業しました。また、1989年には「Bunkamura」も開業し、これによってセンター街から東急百貨店本店~文化村通りと、商業文化施設が配置され、渋谷の大きな発展に繋がりました。

今では渋谷のみならず、東京~日本のシンボリックな建物として、そのシリンダー形状が際立ちますが、当時渋谷駅からすぐに分かるよう、「シンボリックな木を植えられないか?」と、当時の東急グループ総帥の五島昇会長が発言されたそうです。しかし、すぐ下に地下鉄があるので、とても木を植えるほどの荷重に耐えられないため、ここの設計をされた竹山実さんが苦労されてあのデザインになったと聞いています。

―現在の「SHIBUYA109」に名称変更したのは1989年。ちょうど「渋カジ」が巷で大流行した頃でした。

木村:1990年代半ばからターゲットも20歳前後の若い世代に変更し、そこから正しく時代を創り出す、「ファッションの聖地」とまで言われ、若い世代から絶大な支持を受けました。そういった意味では、当時から若い世代が集まり、混沌としていた渋谷の街だからこそ、この「SHIBUYA109」が誕生したといっても過言ではありませんね。

―SHIBUYA109渋谷店といえば、「シリンダー」で展開される広告などが全国で話題になるほどの影響力をお持ちです。個人的には安室奈美恵やSMAP、東方神起ら時代の「顔」となったアーティストによる巨大広告を今でもはっきりと覚えていますが、木村さんにとって特に印象深かった広告展開というと?

木村:1985年から『東京国際映画祭』が渋谷で開催され、その際必ずSHIBUYA109渋谷店のシリンダーに、映画広告が貼りだされました。その中で、1987年に掲示されたマリリン・モンローの映画『7年目の浮気』の名シーンは、SHIBUYA109渋谷店の下に地下鉄が走っていることもあり、とても印象に残っています。また、2002年のFIFAワールドカップの時のadidasさんの広告は、シリンダーに三都主選手がボールを蹴る画像が貼られました。屋根の潰れた車の上に、adidasの巨大ボールが載っているという芸術的なオブジェが印象的でしたね。

―ターゲット層は、どのように変化してきたのでしょうか。

木村:「ファッションコミュニティ109」はいわゆる雑居ビルで、中途半端な立ち位置であったため、バブル崩壊と共にターゲットの消費マインドの変化の影響を受けて、売上が急降下してしまいました。その後1995年前後に、当時渋谷に集まり始めていた若い世代へ徐々にターゲットを移し、ショップ構成も一新し始めました。アムラー現象等のブームにも乗り、一気に高校生を中心とした、オシャレに敏感な女の子たちにターゲットシフトしました。

1990年代後半には、SHIBUYA109渋谷店で働く店舗スタッフの皆さんが「カリスマ店員」と呼ばれ、更に独特な世界観が創り出されてきました。その後ファストファッションが隆盛の2000年代後半の時代、渋谷には「H&M」「ZARA」「FOREVER21」等の店舗が出店し、「SHIBUYA109」も大きな影響を受け、多様化するファッションに対して幅広く対応しました。同じ頃にスマホやSNSが普及し始めると、若い世代の興味も多様化し「情報受発信の時代」に変化していきます。

「SHIBUYA109」はこのような時代の変化に対応できず、2008年をピークに、徐々に売上が下がっていきました。こうしたなか2017年に「株式会社SHIBUYA109エンタテイメント」が設立され、若い世代が興味を持つ多種多様なエンタテイメントを取り揃え、今一度メインターゲットを再設定しました。Z世代の中でも時代や流行に敏感で、自分自身をしっかりと持っている「around20」のお客様をターゲットにしています。

木村知郎

―渋谷は多様な文化や人が集まってくる場所ですが、渋谷で過ごされている中で感じた渋谷の好きなところというと?

木村:渋谷はその名前の通り「谷」が多い街です。その底に位置するのが渋谷川沿いに位置する渋谷駅周辺です。川沿いは平らですが、その他は全て坂に挟まれています。「神泉」は渋谷地区の地下水の源泉ですし、以前はその周辺が夜の街の中心でした。そういった地形的な面白さは他にない、渋谷の魅力の一つだと思います。

渋谷は「大人の街化」しているという人もいますが、この街はそんな世代論では片付けられないほど拡大し、世界中から人が集まる場所になっています。人だけでなく、そこから生まれるファッションやカルチャーなどが入り混じる世界。私は渋谷の街の魅力はその「カオス性」だと思っています。その多様性を全て受け入れる街が渋谷だと思っていますし、それこそが渋谷の街の魅力だと思います。

―なるほど。渋谷にまつわる木村さんご自身の、個人的な思い出はありますか?

木村:私が小さい頃、初めて映画館で映画を観たのも渋谷ですし、初めてのデートで映画を観たのも渋谷の東急文化会館でした。大学生の頃は輸入盤のレコードを買いに渋谷に来ていましたし、渋谷を本社とする会社に入社し、人生の多くを渋谷という街と関わっています。ことあるごとに渋谷の街は、自分を大人にしてくれたのかもしれません。以前はセンター街から神南が「子供のエリア」、文化村通りから南や裏渋・奥渋が「大人のエリア」で、「大人になったらあっちに行きたい」とか思っていましたね。今はそういった境はありませんが。

―木村さんが好きな渋谷のお店は?

木村:「麗郷」「長崎飯店」「花菱」などは、歴史も古くて昔から変わらない味を、気取らない雰囲気の中で食べさせてくれます。最近は裏渋・奥渋周辺の「二代目葵」「LE BOUCHON OGASAWARA」「神山」など、静かにご飯を食べさせてくれるところによく行きますね。

また「record bar 33 1/3rpm」は、1980年代のロック中心に「LPレコード」でかけてくれるバーで癒されます。渋谷スクランブルスクエアの屋上「SHIBUYA SKY」も、今まで見たことのないような360度の景色が広がり、正しく新しい渋谷の街を印象付ける施設ですね。

サイト情報

『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』

23万人の渋谷区民と日々訪れる300万人もの人たちが支えてきた渋谷の経済は“自粛”で大きなダメージを受けました。ウィズコロナ時代にも渋谷のカルチャーをつなぎとめるため、エンタメ・ファッション・飲食・理美容業界を支援するプロジェクトです。

店舗情報

SHIBUYA109

営業時間 11:00~20:00
(カフェ・レストランは22:00まで、プレイガイドは20:00まで)
※営業時間変更となる可能性がございます

〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2-29-1
休館日:元日を除き、年中無休

プロフィール

木村知郎(きむら ともお)

1964年、東京・世田谷区生まれ。大学卒業後、東京急行電鉄(現東急)に入社。様々なセクションの経験を経て、2016年に「東急モールズデベロップメント」へ異動し、SHIBUYA109事業本部長に就任。2017年4月、「東急モールズデベロップメント」から分社化する形で「SHIBUYA109エンタテイメント」が誕生し、同時に代表取締役社長に就任。

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