世界でも有数の「音楽の街」であり「若者の街」だった1990年代の渋谷に事務所を構え、25年にわたり渋谷を定点観測してきた佐々木敦。前編では「これまでの渋谷」を振り返りながら、渋谷の変質について語ってもらった。
この後編では、再開発が進む最中、新型コロナウィルス感染症の拡大に見舞われた「現在とこれからの渋谷」がテーマ。コロナ禍が暴き出した物とは一体何なのか。都市のあり方が改めて問われる中にあって、佐々木敦は「場所」の重要性を改めて主張する。
YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」
新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。
コロナは想像もつかなかったことだけど、どういい方に転化するかだよね。
―再開発が進んだ2010年代の渋谷については、どのように見ていましたか?
佐々木:渋谷は昔のものが結構残っていて、今もある。例えば、1990年代に渋谷の象徴のひとつだった109は今もあるじゃん? もちろん、変質はしてるんだけど、でも「マルキュー」ってものはある。「渋谷といえば」みたいなものって、実はあんまり変わってなくて。
それは変わらなくてもいいような良い状況だったとも言えるけど、変化に取り残されたみたいな部分もあって、それこそパルコだって1980年代からあったものがやっと変わったわけだし、いま一番わかりやすいのは渋谷駅の東急だよね。あそこをいよいよ壊す。再開発は他の街でも段階的に行われてきたけど、渋谷は狭かったり、ずっと残ってるものが多かった分、集中的にやらないと変わった感じに見えなくて、その分再開発が派手に見えたっていうのはあると思う。
佐々木敦(ささき あつし)
文筆家。1964年、愛知県名古屋市生まれ。ミニシアター勤務を経て、映画・音楽関連媒体への寄稿を開始。1995年、「HEADZ」を立ち上げ、CDリリース、音楽家招聘、コンサート、イベントなどの企画制作、雑誌刊行を手掛ける一方、映画、音楽、文芸、演劇、アート他、諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。2001年以降、慶應義塾大学、武蔵野美術大学、東京藝術大学などの非常勤講師を務め、早稲田大学文学学術院客員教授やゲンロン「批評再生塾」主任講師などを歴任。2020年、小説『半睡』を発表。同年、文学ムック『ことばと』編集長に就任。批評関連著作は、『この映画を視ているのは誰か?』(作品社、2019)、『私は小説である』(幻戯書房、2019)、『アートートロジー:「芸術」の同語反復』(フィルムアート社、2019)、『小さな演劇の大きさについて』(Pヴァイン ele-king books、2020)、『これは小説ではない』(新潮社、2020)他多数。
―たしかに。
佐々木:ヒカリエができたあたりから(2012年)、渋谷のイメージは実際変わってきたし、「変えたい」っていう渋谷という街の無意識が感じられるようになって、今はまだその渦中ですよね。その一方で、ゼロ年代後半からテン年代を通して進行したインターネット的なものとの共存があって、コミュニケーションのかなりの部分がインターネット上に移行していってる中で、これから街っていうものがどういう機能を果たし得るのか。そこが一番の問題でしょうね。
―そして、そこに新型コロナウィルス感染拡大という新たな問題が起こりました。
佐々木:コロナ禍になって、「オフィス構える意味なんてあるのかな?」「これ全部リモートでよかったんじゃない?」ってなってきたよね。HEADZは全員一緒にいることなんてほぼないので昔からずっとリモートなんだけど(笑)。もちろんコロナは想像もつかなかったことだけど、それでいろんなことがダメになっちゃうというよりも、どういい方に転化するかだよね。
俺はだんだん渋谷が好きじゃなくなって、実際あんまり来なくなったけど、でも嫌いになったわけじゃなくて、一番長くいた街だし、一番知ってる街でもあるから、ポジティブに転化してほしい。渋谷は他の街よりキュッとしてる分、やりやすいんじゃないかとも思うし。
―きらびやかなビルはたくさん建ってるけど、文化的な熱量が損なわれている印象は否めないので、そこも含めて一緒に編み直せればいいなと思っていて。現状をポジティブに捉えるなら、まさに「ピンチはチャンス」で、次へ進むいい機会なのかもしれないなと。
佐々木:渋谷がずっと「若者の街」だったことを考えると、ユースカルチャーみたいなもののあり方が、テン年代を通して、上手く新しいモードに移行できてない。まあ、そう思うこと自体、俺が歳をとったのかもしれないけど、もっと上手く、都市と文化を有機的に復活させることができたらいいですよね。自分がそれをしたいというよりも、老人になっていく中で、「渋谷復活してるな」って思えるようになっててほしいなって(笑)。
20代くらいの人が「面白いことをやれる気がする」って思える街に、渋谷がなればいいんだよね。
―そういった次の渋谷を目指す動きとしては、渋谷5Gエンターテイメントプロジェクトによる「バーチャル渋谷」であったり、宇川さんがパルコにオープンした「SUPER DOMMUNE」だったりが話題です。バーチャルの可能性については、佐々木さんはどう見ていますか?
佐々木:リアルな街とネットを対立的に言っちゃうこともあるけど、ホントは対立なんてしなくてよくて、もっといい感じに融合すればいいわけですよね。DOMMUNEに関しては、宇川くんという類まれなキャラクターと才能の産物で、今やってることと、今後やれるかもしれないことにはすごく可能性があると思います。DOMMUNEはまさにネットと「その場に来ないと」っていうことを上手く使ったわけじゃない? インターネットって、距離を無化できるのがいいわけだけど、それを進めていくと逆に「そのときその場性」みたいなものの価値って相対的に上がるから、それを上手く調整して、「いつでもアーカイブで見れる」ことと、「そのときその場でしか体験できない何か」を両方やれればいいわけで。
―そうですね。
佐々木:そのやり方は他にもいろいろある気がするんですけど、そのためには、実は「場所」っていうのがすごく重要。今はオフィス、ショップ、スペースとかも含めて、いろんな容れ物がどんどんできていってる一方で、東京都の幽霊マンションの数は尋常じゃないくらい増えてる。でも、ヨーロッパみたいにスクワットして使っていいとはならないわけで。
再開発の旗振りをして、その恩恵をこうむりたいと思ってる人たちの中心的な年齢層は俺とか俺よりちょっと上で、だから、今って1980年代リバイバル的なものがいっぱい出てきてる。気持ちはわかるけど、でもそれは後ろ向きで好きじゃない。「1980年代にはすごいことがいっぱいあったから、2020年代にもう一度再生させよう」みたいなのはまず無理だし、ノスタルジックで好きじゃないんです。
―リバイバルではなくて、これまでの遺産を生かしつつも、新たなやり方を模索すべきだということでしょうか?
佐々木:昔勝ったものはもう勝てないと思った方がよくて、コンテンツにしても、スペースの使い方にしても、失敗があってもいいから、もっと若い人に、自由にいろんなことをやらせた方がいいと思うんです。せっかくいろいろ場所を作ったわけだから、実験都市的な感じっていうか。その感じがユースカルチャーだと思うわけ。不景気の中で冒険はしづらいから、そうなると安牌を選びがちで、過去のセオリーに頼って、ノスタルジーに陥る。ヒカリエでも一時期色々イベントをやってたけど、どうしてもそう見えちゃって。
―いかにリスク管理をしながら、失敗を恐れずに新しいことを打ち出せるかが大事だと。
佐々木:1990年代の渋谷の何が面白かったかって、「何がどうなるかわからない」みたいなところで。「10個あったら9個消えてるけど、1個すごいやつが残る」みたいな感じだったんだよね。もちろん、経済状況の違いもあるけど、でもそういう状態が「街が生き生きしてる」ってことだと思う。単に容れ物だけ作ればいいんじゃなくて、人間を育てるとか、面白いことを考えてる若者を呼び込むとか、そういうことをやっていけるといいなって。それを可能にするインフラはあると思うので。20代くらいの人が「面白いことをやれる気がする」って思える街に、渋谷がなればいいんだよね。理想論かもしれないけど。
サイト情報
- 『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
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23万人の渋谷区民と日々訪れる300万人もの人たちが支えてきた渋谷の経済は“自粛”で大きなダメージを受けました。ウィズコロナ時代にも渋谷のカルチャーをつなぎとめるため、エンタメ・ファッション・飲食・理美容業界を支援するプロジェクトです。
書籍情報
- 『批評王——終わりなき思考のレッスン』
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2020年8月26日(水)発売
著者:佐々木敦
価格:2,700円(税込)
発行:工作舎
プロフィール
- 佐々木敦(ささき あつし)
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文筆家。1964年、愛知県名古屋市生まれ。ミニシアター勤務を経て、映画・音楽関連媒体への寄稿を開始。1995年、「HEADZ」を立ち上げ、CDリリース、音楽家招聘、コンサート、イベントなどの企画制作、雑誌刊行を手掛ける一方、映画、音楽、文芸、演劇、アート他、諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。2001年以降、慶應義塾大学、武蔵野美術大学、東京藝術大学などの非常勤講師を務め、早稲田大学文学学術院客員教授やゲンロン「批評再生塾」主任講師などを歴任。2020年、小説『半睡』を発表。同年、文学ムック『ことばと』編集長に就任。批評関連著作は、『この映画を視ているのは誰か?』(作品社、2019)、『私は小説である』(幻戯書房、2019)、『アートートロジー:「芸術」の同語反復』(フィルムアート社、2019)、『小さな演劇の大きさについて』(Pヴァイン ele-king books、2020)、『これは小説ではない』(新潮社、2020)他多数。