世界で一番進んでいたレコード文化の国の変化 佐々木敦に聞く

世界で一番進んでいたレコード文化の国の変化 佐々木敦に聞く

2020/09/02
インタビュー・テキスト
金子厚武
撮影:天田輔 編集:柏井万作(CINRA.NET編集長)

おそらく1980年代の終わりくらいから、ホントにマニアックな音楽ショップやリスナーが集う場の重心が、西新宿から渋谷に移ってきた。

―当時の佐々木さんと特に接点の強かったレコードショップというと、どこの名前が浮かびますか?

佐々木:今日僕が着てるのはパリペキンレコードのTシャツなんです。パリペキンレコードっていうのは、虹釜太郎くんと、もう亡くなっちゃった軍馬修くんの2人が、HEADZよりも前に、渋谷タワレコの奥の雑居ビルの一室で始めたレコード屋さんで。

佐々木敦

佐々木:あるとき2人から急に連絡があって、「渋谷にレコード屋を出そうと思ってるんだけど、相談に乗ってくれないか」って言われて、一回会ったんです。会ったのはなぜか新宿の紀伊国屋だったんですけど(笑)。で、それから数年経ってホントに店を構えたわけですけど、その2人は超マニアで、ホント変わった音楽しか取り扱わないお店で。その店の販促のために、店の中でレコードとかCDをかけて、僕が解説するっていうイベントを始めたのが『UNKNOWNMIX』だったんです。

―へー、なるほど!

佐々木:パリペキンレコードは結局2~3年でつぶれちゃって、軍馬くんは当時WAVEにいたヤマベケイジくんと一緒にロスアプソンを西新宿に作って、虹釜くんは原くんと一緒に不知火とかsoup-diskっていうアンダーグラウンドなヒップホップレーベルをやるんです。で、このTシャツはboidっていう爆音上映とかをやってるところが新しく虹釜くんをフィーチャーして始めたレーベルの第一弾CDについてるTシャツ(笑)。

―面白い(笑)。CISCOをはじめとしたクラブミュージックの流れとはまた別の、渋谷のレコードショップ史ですね。

佐々木:おそらく1980年代の終わりくらいから、ホントにマニアックな音楽ショップやリスナーが集う場の重心が、西新宿から渋谷に移ってきたんです。だから、これはおごって言うわけではなく、1990年代を通して、世界で一番進んでいたレコード文化の国であった日本の中の、最も進んだスポットが渋谷だったんだっていうのは、間違いなくそうだったと思う。今となっては懐かしい、昔話みたいな感じですけど。

―西新宿から渋谷へと重心が移ったのは、何が原因だったのでしょうか?

佐々木:西新宿はブートが多かったり、イリーガルな問題が結構あったんですよね。HEADZを作った当時で言うと、クララオーディオアーツっていうノイズ / アヴァンギャルド専門のレコード屋さんをやってた野界典靖くんっていう異常なほど音楽を知ってる男と西新宿で知り合って、そのクララをHEADZに持ってきたんです。やっぱり、ショップとかレーベルも含めての音楽文化だから、そういうのも全部やりたいと思って、HEADZはレーベルも始めたし、雑誌も作ったし、お店も持ったし。それは全部音楽を第一にやってたことで、それを一番やりやすい場所は、圧倒的に渋谷だったんです。

佐々木敦

レコード屋さんで生まれたコミュニケーションが、テン年代を通じてだんだんネット上のコミュニケーションに代替されていった。

―1990年代の渋谷は、行ったら自分の知らない何かと出会える場所だった。でも、ゼロ年代以降はネットで情報が得られるようになって、質的に変わっていったように思います。

佐々木:実際には1995年の時点でネットはあって、特に原くんはネット関係のライターもやっていたから、HEADZはわりとそういうのにも早く反応してたんだけど、とはいえホントにネットで何でも情報が見れるようになったのはゼロ年代に入ってからですよね。

それはクララが崩壊した理由でもあるっていうか(笑)、クララのレアなレコードってめちゃくちゃ高くて、でも「これホント他にはないんですよ」って言われると、つい買っちゃうわけ。でも、ネットが充実してきて、調べてみると、「あれ? この値段で買えたの?」みたいな、そういう話ってクララだけじゃなくてたくさんあったと思う。それまでレアもの商売をしてた人たちが、だんだんつぶれていく。ネットが変えたことのひとつって、音楽なら音楽のマイナー度合いみたいなものを赤裸々にデータとして表に出したことで。

―そうなると、お店のあり方も変わっていきますよね。

佐々木:それ以前はまさに「未知のものと出会う」みたいな感覚で、レコ屋に行くと聞いたことのない名前のアーティストの作品が毎日のように入荷されてて、それを買って、聴いてたわけ。で、レコード屋さんに通うと、バイヤーさんとも仲良くなるし、他のお客さんとも知り合いになっていくんですよ。

僕はそんなにコミュニカティブなタイプじゃないけど、こっちが音楽の仕事をしてることも知ってくれて、コミュニケーションが生まれる。そこから自然と「イベント一緒にやろうよ」とか「CD出そうよ」みたいな話になっていったんです。でも、それがテン年代を通じてだんだんネット上のコミュニケーションに代替されていって。渋谷ってそんなに広くなくて、宇田川町なんてホントこのあたりの一角でしかないから、ウロウロしてると路上でもいろんな人とよく会って、それが何かになってた。でも、お店がなくなっていくと、当然そこに来る人もいなくなって、テン年代半ばくらいからジワジワと、「あれ? あれ?」って変化していきましたね。

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『YOU MAKE SHIBUYAクラウドファンディング』
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書籍情報

『批評王——終わりなき思考のレッスン』
『批評王——終わりなき思考のレッスン』

2020年8月26日(水)発売
著者:佐々木敦
価格:2,700円(税込)
発行:工作舎

プロフィール

佐々木敦(ささき あつし)

文筆家。1964年、愛知県名古屋市生まれ。ミニシアター勤務を経て、映画・音楽関連媒体への寄稿を開始。1995年、「HEADZ」を立ち上げ、CDリリース、音楽家招聘、コンサート、イベントなどの企画制作、雑誌刊行を手掛ける一方、映画、音楽、文芸、演劇、アート他、諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。2001年以降、慶應義塾大学、武蔵野美術大学、東京藝術大学などの非常勤講師を務め、早稲田大学文学学術院客員教授やゲンロン「批評再生塾」主任講師などを歴任。2020年、小説『半睡』を発表。同年、文学ムック『ことばと』編集長に就任。批評関連著作は、『この映画を視ているのは誰か?』(作品社、2019)、『私は小説である』(幻戯書房、2019)、『アートートロジー:「芸術」の同語反復』(フィルムアート社、2019)、『小さな演劇の大きさについて』(Pヴァイン ele-king books、2020)、『これは小説ではない』(新潮社、2020)他多数。

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